ドイツ個人旅行のガイド藤島が体験したベルリンの壁のお話です。


1989年11月9日の崩壊したベルリンの壁について、1980年から85年まで旧東ドイツに住み、
現在では個人旅行のお客様をご案内しているガイドが、ベルリンの壁の建築から崩壊、そしてドイツ統一までの
歴史をつづります。






ベルリンの壁の話 その2

戦後西ドイツ経済はマーシャルプランによって、いわゆる経済の奇跡と呼ばれるような高成長を遂げ、
次第に東ドイツとの差が広くなっていった。

それに加えて、ソ連はスターリンの時代であり、東ドイツはこの政治体制に完全に翻弄されることになる。

まず、社会主義、東ドイツ、あるいはスターリンの悪口を言おうものなら、それをこっそりと聞き耳を
立てているシュタージと呼ばれる国家保安部の犬が報告し、夜遅く自宅の前に車が止まって秘密警察に連行され、
政治犯として拘留されるということがしばしば起こった。

そこまでは行かなくとも、自分の職場を追われたり、警察のブラックリストに乗ったりするといった、
完全にゲシュタポが跋扈した恐怖政治である。

それに加えて、ヒトラーの時代のヒトラーユーゲントと全く同じような組織、小学校から13歳までユンゲピオニール、
14歳からは自由ドイツ青年団といった組織に強制的に加入させられ、その最終目的はヒトラー時代のように
戦争ではないにしろ、「社会主義達成のために」とか、「マルクス・レーニン万歳」と書かれたプラカード、
あるいは青年団の旗を持ってデモ行進したり、祝日には赤旗や国旗を振る、といったようなこともさせられた。

スターリンが死んでフルシチョフの時代も変わらず、自分たちの主義に反対する、あるいは疑問を持つ者は除外すると
いった行為は、ヒトラー時代と全く同じである。

これは「自分たちの青春時代をヒトラーに騙し取られてしまった」と思っていた人たちにとっては、
「また同じようなことをやらされるのか?もう勘弁してくれ!」という感じで社会主義に対して嫌悪感を持つのは
当然なことであっただろう。

「西に出ればもっといい生活ができる可能性がある」、「西に出れば、このような思想にさらされずに済む」。
あるいは、「西ではもっと自由な生活が待っている」。

東から西ベルリンに行ってみれば、店の中に並んでいるものが全く違うし、豊富にある。
ところが、東ドイツマルクは西ドイツマルクと比べて4〜5対1の割合である。

私のドレスデンに住む師匠が西ベルリンで自転車のタイヤのチューブや靴を買った時は、西の1マルクに交換する
ために、東の7マルクを払ったそうである。

このような交換をしなければならないほど、東ドイツでは物資が不足していたということである。

一番いい思いをしていると思われたのは、東ベルリンに住み、西ベルリンで働いていた6万5千人である。

給料は西ドイツマルクでもらい、それを闇で東ドイツマルクに交換し、物価の安い東ドイツで生活して贅沢できた。

反対に西ベルリンの人たちは、パンなどの価格統制されている、比較的安い生活必需品を東ベルリンで購入するといった、
かなり異常な状態が続いていた。

そして一番の問題なのは、東ドイツから西側に出て行く人たちがあとを絶たなかったことである。

1949年の建国から壁が建設された1961年8月13日まで、約270万人の東ドイツ人が故郷を捨て、
何らかの形で国境を越え、あるいは西ベルリンに出てしまい、1961年には、8月12日までの間に
15万5千人が西側に、そのうちの12万5千人が西ベルリンに出た。

特に知識階級、技術者、医者、職人の親方などが多かったそうである。

何しろ、自称労働者と農民の国家であるから、インテリ層の子息は大学に入れてもらえず、労働者、
あるいは農民の子であれば、大学に優先的に入れるような状況だったそうな。

病院に医者はおらず、パン屋はなくなり、工場の責任者、労働者はいなくなる…。

東ドイツ経済はガタガタになってしまった。

それでも当時の東ドイツ社会主義統一党のヴァルター・ウルブリヒト書記長は、1961年6月15日の記者会見では、
「壁を建築するということは誰も考えていない」と話していたのだが、その舌も乾かない8月13日、日曜日の
零時を持って壁の建築を、彼の寵児で、後の書記長となる、エーリッヒ・ホーネッカーに指令した。

壁の建築の理由は、「ファシズムを防ぐための壁」というものであり、「社会主義を崩壊させようとする
帝国主義的西側陣営による、東ドイツ国民の誘拐を防ぐため」、あるいは「西側の挑発行為に対する措置」
というものであった。

1万2千人の警察官、4500人の国家保安部職員、1万2千人の民兵が動員されて西ベルリンとの境界線には
有刺鉄線が張られ、その前には銃をかまえた民兵が立ちはだかり、東ドイツ国民が西に出るのを妨害し、
あっという間に西ベルリンへの通行は不可能になり、東ベルリンに住み、西ベルリンで働いていた人はその職場を
失ってしまった。

1961年8月13日に国境が封鎖され、壁が築かれる様子





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