ライプチッヒの話 その2

その1の続きになるのだが、トーマス教会を出た後は、どこをどう歩いたかはあまり覚えていない。

しかしながら、第二次大戦中にドレスデンのように旧市街が完全に破壊されていなかったようで、
旧市役所や新市役所なども完全に残っており、そこを中心に古い建物が並んでいて、
何となく都会らしい雰囲気があった。

近くには近代的な高層ビルが立っており、142メートルあるカール・マルクス大学の建物で、
その上が尖がっており、聞けば、赤旗が翻る模様を象徴したのだそうな。
非常に印象に残っているのが、その隣にあった大きな広場とオペラ劇場、そして場違いではないか、
と思われるほど大きな箱型の中央郵便局があった。ここから何枚かの絵葉書を送る。

ただし、この当時の絵葉書はカラー印刷ではなく、白黒の写真、それも多分手作業で現像したのではないか、
と思われるものであった。

町を散歩しながらレストランを捜す、と言うわけでもなく見つけ出したのが、新市役所の地下室にあるレストラン、
ラーツケラーである(ドイツの市役所の地下はレストランになっていることが多く、手頃な値段でおいしいものが
食べられる)。その中で食事をしている若いカップルと同席させて頂く。

まずビールを注文してから料理を決めるのだが、ドイツ語が少しできたとしても、メニューがさっぱり判読できない。
どこかで聞いたことのあるアイスバインと言うものを注文したら、大きな豚の腿の部分が出て来た。

隣に座っているジャーナリズムを専攻している、と言う女子大生が、「こうして食べるのよ。」と食べ方を
教えてくれたのだが、多すぎて食べきれない。

外側の脂身を食べて内側の肉の部分をかなり残してしまった。東ドイツは非常に物価が安く(賃金もそれだけ安い
のだが)、全部で5マルク(約300円)ほど払っただろうか。

素朴ではあるが、何となく古いドイツのイメージにぴったりしているような感じがする。

食事の後は楽譜屋を捜したりしながら商店街をあちこち歩きまわる。中にはそれほどいい物は置いてはいないし、
電機製品などはかなり遅れているような感じがする。と言うよりはお店の数が日本に比べれば少なすぎるのである。

楽譜屋は神田の古本店をちょっと上品にしたような感じだった。

アーケード(有名なメドラーパッサージェと後に分かる)の中を歩いていたら、陶器店を見つけ、
父が「何かヨーロッパの置物などを買って来い。」と言ったのを思い出し、大きな鳥の置物を見つけたので、
「あれが欲しい」と言った(つもり)のだが、女店員は首を振り、小さな置物を指差した。
「これしかない」という事だろう。結局は何も買わずに外に出る。

その近くには黒い銅像が道の両端に対面して立っていた。後にこの地下のレストランは、かのゲーテが足繁く通い、
彼の作品ファウストにも出て来る有名なレストランだったと知らされたのであるが、当時は閉まっていたように記憶
している(私の東ドイツ時代は完全に閉めきられており、統一がなってから再開されたようだ)。

こうして書いていると、ライプチヒに限らず、私の最初のドイツ旅行は何も知らずに憧れの地に来て、
あてもなくさ迷っている、と言う感じだったように思われる。

それだけに、受けた感動は大きかったのだろうが、かなり見逃したものもあるのだろう、と思う。

現在のように情報が溢れていて、あれもこれも…と言うのも困るのだが。