ライプチッヒの話 その1

ドレスデンから電車でわずか1時間ほど、ザクセンのもうひとつの都市ライプチッヒに着く。

この町はメッセ(見本市)で知られ、ドレスデンが文化的な町であるに比べ、どちらかといえば
商業の町と言える(かな?)。
この町では大作曲家のバッハが活躍し、ワーグナーが産声を上げ、メンデルスゾーンが忘れ去られていた
大バッハと呼ばれるヨハン・セバスチャン・バッハをこの世に蘇らせ、ローベルト・シューマンが活躍した町である。

そして世界で最初の民間オーケストラと言われている、ゲヴァントハウスオーケストラがある。

このようなことはかなり後にこの仕事をするようになってから、色々な資料を読んでいるうちに分かったのであるが。

そして忘れもしない、1989年のベルリンの壁が開くきっかけのひとつになったのが、この町のニコライ教会で
行なわれた月曜日の礼拝と、その後のデモ行進であった。

今のようにガイドブックが溢れているわけでもなく、1974年の夏、まだ東ドイツの情報は日本ではほとんど
入手できない頃に、初めて東ドイツ(ドイツ民主共和国)を訪れ、ドレスデンの友人宅に滞在させて頂いたのだが、
この町まで足を伸ばした理由は、バッハが1723年から50年まで教会音楽監督を勤めていたトーマス教会を訪れてみたい、
ということと、この町は楽譜の出版社が多い、と聞いており、チャイコフスキーの第5交響曲の大型スコアを買いたい、
ということだった。


ライプチヒ、トーマス教会

当日は雨模様で、ライプチッヒの駅に着いた時の第一印象は、「いやに薄暗いな」というものであった。

プラットホームから建物まで、テニスコートができるぐらいのかなりの距離がある。
後に聞かされたが、この駅はヨーロッパ最大だそうだ。町の地図を購入し、ゆっくり歩きながら、
そして迷いながら中心地に向って行く。

トーマス教会は町の中心地、市役所のそばにあり、すぐに見つかったように思う。
幸いなるかな、中に入れるようになっていた。

誰かがオルガンの練習をしていたのだが、この教会のオルガニストだろうか?
それとも音楽大学の学生であろうか?
曲目はバッハではなさそうだが、このような教会のオルガンを弾きながら勉強できる、というのは
すばらしいことだろう。
オルガンの授業は電子オルガンで行っているようなどこかの国の音大生に比べてみれば、信じられないことだろう。

中にいるのは私一人だけだった。演奏会場貸し切りで聞いているわけである。

教会本陣にはヨハン・セバスチャン・バッハと刻まれた大きな銅版が床にはめ込まれており、その上に
ドライフラワーが一輪置かれていた。
あの大バッハのお墓である。本陣に入れないよう、綱が張ってあったが、誰もいなことを幸い、中に入り、
この銅版とオルガンを入れて写真を撮らせてもらった。

教会脇にはバッハの大きな銅像があり、当然そこでも写真を撮り、小雨のライプチッヒの町を散策することにした。

当時はそばにあるお店に、バッハに関する書籍やCD、キャラクター商品が並んでいたわけではない。
「ああ、自分はあのバッハの教会に本当にやって来たんだな。」という、何となくほっとした気持にしかならなかった
ように記憶している。

今思えば、記念品を買うとか、余計なものに目が行かなかった、という意味では、それで良かったのかもしれない。