ライプチッヒの話 その3

ベルリンの壁が開く前、この町にはある日本の建設会社が作ったホテルがあり、サービスも日本のやり方を
取り入れていたらしい。

壁が開いて間もない90年の春に一度だけ泊まったことがあるが、洗面所には歯ブラシが置いてあった。

これはヨーロッパのホテルで初めての経験である。
ただし、置いてあったのは使い捨てではなくて、普通のものであった。

その他に、東ドイツでは唯一と言える「桜」という名前の日本食レストランがあった。

もちろん、米ドルとか、西ドイツマルクしか使えないレストランで、外貨のない東ドイツ国民には縁のないところである。
忘れていた。唯一東ドイツマルクでも入れる日本風レストランが南のズールという町に、主人が色々な文献を見て、
温泉旅館というものが何となくこういうものなのだろう、という感じで作ったレストランがあったっけ。

まずはお風呂に入り、着物を着たウエイトレスがサービスをしてくれるというシステムだったが、
出てくるのは天ぷらとか、鱒のお刺身だったそうな。

それでも予約をしてから1年は待たなければならなかったとか。
70年代の終わりに、ここの主人が日本のテレビ局から招待され、築地の魚河岸などを訪れているのが
大橋巨泉の「イレヴンPM」で放映されていた。

東西ドイツが統一されてしばらく経った97年ごろだったと思うが、久しぶりに仕事でライプチッヒを訪れ、
町を散歩しながら、かのロマン派の大作曲家ローベルト・シューマンや、リヒャルト・ワーグナーなどが
入り浸っていたと言われる「カフェ・バウム(コーヒーの木)」という喫茶店を探していると、目の前に「SUSHI」
という看板が目に入ってきた。

ガラス張りの店の中を覗くと、回転寿司のカウンターのようなものがあって、ベルトが動いている。
とうとうこの東側にも回転寿司が進出して来たのか、と思いながら中に入ってみる。

ベルトだと思ったのだがさにあらず。ベルトの代りに水を張り、その上を小さな船が連なって動いており、
その上に寿司が乗っていた。この寿司が問題である。私が見ても、「なんだいこりゃ〜?」と目を丸くするほど
似ても似つかぬものである。いくらなんでも酷すぎる。

中にいた東南アジア人の店員が、バツ悪そうにこちらに微笑みかけていた。
握り方も何もあったものではない。それに上に乗っているネタの切り方も表現の仕様もないぐらいに酷い。
マグロらしきもの、アナゴらしきものが乗っているのだが、すっかり乾いてしまっている。

とても食欲をそそる様なものではない。ドイツにも魚を売っているチェーン店があり、たまにマグロの
切り身が売りに出されるのだが、私自身も新鮮な物だったら大量に買い入れ、冷凍にして少しずつお刺身にしたり、
時には見よう見まねで、寿司まがいのものを握って食べていたのだが、「これだったら俺の方が、握り方がうまい」
と思うほど酷いものだった。

後で聞いた話によると、先述した日本レストランの板前さんがここを覗きに来て、「これだったら、俺たちの
相手にはならない」と言いながら、安心して引き上げて行ったそうな。そりゃそうだろう。

その後、ドイツでは「SUSHI」がドイツ語になってしまうほどにポピュラーになってしまい、ベルリン、ミュンヘン、
ハンブルクなどの大都市にはかなりの寿司バーバー、寿司レストランが開店し、ハイデルベルクなどの中都市にも
見られるようになった。それでも、本当に日本人の寿司職人が握っている、もしくは日本人の寿司職人にきちんと
教えを受けた人が握っているのは少ないらしく、東南アジア人、中国人、韓国人が握っている場合が
かなり多いようだ。

その後ライプチッヒにも、数軒新しい寿司バーが開店した。それにしても、よく食中毒を起こさないものである。
よっぽどドイツ人の胃袋は頑丈にできているらしい。

ちなみに、私の住んでいるハイデルベルクには、寿司バー、および寿司を出してくれるレストランが5軒ほどあるが、
日本人が経営しているちゃんとしたレストランがあり、特に昼の定食は安くておいしいので、現地の日本食ファンの
人たちでいつも満員である。「好乃味(このみ)」というレストラン(日曜と月曜はお休み)である。
ここで宣伝させて頂くことにします。

ライプチッヒの話が食い物の話になってしまった。