ニュルンベルクの話 その1

バイエルン州フランケン地方の中心地で人口55万人ほどのこの町は、中世の時代にマルチン・ルターと
親交のあったアルブレヒト・デューラーという画家、、ドイツを代表するアダム・クラフト、
ファイト・シュトースという彫刻家、ニュルンベルクのマイスタージンガーに出てくる、
靴屋さんで作詞作曲ができたというハンス・ザックスが活躍した町である、

と同時に、かのヒトラーが大好きな町で、1935年には悪名高き、ユダヤ人をドイツ社会から
排除するための「ニュルンベルク法」という人種法ができた町でもあり、戦後には、ヒトラーの部下であった
ゲーリンク、ヘス、リッベントロ−プなどの戦犯を告発したニュルンベルク裁判が行なわれた町でもある。

川があってそのそばに高台があると、見張りなどに便利であるがゆえにそこにお城が築かれ、集落ができる、
という形で、この町ができたらしい。いずれにしろ、物を大量に運ぶには船を利用するし、川が合流したり、
浅瀬がある場所には集落ができるものだったらしい。

何となくニュルンベルクのマイスタージンガーに憧れて、この町にやって来たのは、初めてのドイツ旅行をした
1974年のことである。

第二次世界大戦の空襲で町の約55パーセントが破壊されてしまったらしいが、かなりの部分が昔通り復元、
あるいは再建されており、特に町を見下ろす形でそびえているお城はかなりの物だし、このお城の一部が
ユースホステルになっていて、ここに宿を取ることにする。

当時はガイドブックらしいものはほとんどなく、掲載されているホテルは高級なものばかりで、
貧乏旅行をする学生たちは学生用のユーレイルパスと、ユースホステルのリストを持って旅行するのが一般的であった。

駅前の路面電車のターミナルにいるおばさんにどこで下車するかを教えてもらい、ユースホステルの道順を尋ねながら
やっとたどり着き、ドミトリー式の8人部屋に入れられる。

一泊朝食が付いて8マルク程度(約千円)。まあ、こんなものだろう。

下駄を履いて、ユースホステルからゆっくり歩きながら町の方に下って行くと、セルバドス教会が目に入って来た。
「パッヘルベルがオルガンを弾いていた、と聞いたが本当かな?」と思いながらそのまま行くと、青空市場が見えてきた。
この町ではこういう形で毎日お店が出ているらしい。

早速りんごを一個だけ買って、その様子をユースで一緒になったトーマスという男の子に写真を撮ってもらう。
ドイツ人にはよっぽど下駄というものが珍しいらしい。じろじろ見られる。

泥道対策に、ヨーロッパ人は道路を石畳にして、日本人は履物を下駄にした、と何かで読んだことがある。

町をきょろきょろしながらゲルマニア博物館に入って行く。
中の展示物については全く覚えていない。何しろ、美術品といえば、ゴッホ、ピカソぐらいしか知らない人間が、
それ以外の芸術品を見せられても全くわからないのである。

唯一覚えているのは、中にいた監視員のおじさんに、「今度また日本と一緒にやろう!」とウインクしながら言われた
ことだけである。こちらも笑いながら、「イタリア人抜きでね!」と言ってやった。