ドイツ個人旅行のガイド藤島が体験したベルリンの壁のお話です。


1989年11月9日の崩壊したベルリンの壁について、1980年から85年まで旧東ドイツに住み、
現在では個人旅行のお客様をご案内しているガイドが、ベルリンの壁の建築から崩壊、そしてドイツ統一までの
歴史をつづります。








ベルリンの壁の話 その15

旧東ドイツの人たちは、完全に当てが外れてしまった。

自分たちは、ドイツ統一になったとたんに、憧れていた西側の国民と全く同じ生活ができるものと
考えていたのである。

今までと同じように、仕事はサボるだけサボっても、給料は西と同じに上がり、どこへでも旅行に行けるし、
何をしても、何を言ってもシュタージに恐れる必要はない…。

それがどうだ。統一なったとたんに失業である。

しかも、俺たちを助けてくれるはずの、西の信託会社が首を切ってしまったのだ。

それに加えて、今までは女性の職場も確保されていたし、掃いて捨てるほどいた未婚の母や、離婚の母のために
保育園から幼稚園までそろっていて、何も心配なく子供を預けて職に就けたのだが、その保育園なども
次々と閉鎖されてしまい、育児と仕事の両立も厳しくなってしまった。

確かに旅行の自由は確保できたものの、失業したら生活するのが精一杯で、どこにも行けないではないか。
これでは、少なくとも職場が確保されていた東の生活のほうがましだった。

以前は党の幹部によって支配されていたのだが、今度は西ドイツ政府や政府の出先機関、あるいは買収した西側の
大会社にああしろ、こうしろ、あれするなこれするなと支配されていて、結局は頭のすげ替えが行われただけでは
ないのか?

もちろん、店の中には何でもそろっているし、並んで買うこともなくなった。どこにでも旅行に行ける。

そうだとしても、金を稼ぐ手段である仕事を失ってしまったら、何もできないではないか。

この前まで社会主義体制に縛られていたのが、今度は資本主義の権化である金に縛られてしまった。やってられねーよ。
とばかり、西側の人間に対して拒絶反応を起こし始めた。

40年間にわたって縛られていた人間たちが、突然その束縛を解かれて自由にしてもいいと言われても、
何をどうすればいいのか?

今までのように何から何まで政府がお膳立てをしてくれていて、それに従っているようなフリをしていれば
生活できたのだが、自分で自分の道を決めて、何よりも自分で自分の面倒を見ていかなければならない、という頭の
切り替えができない人たちは取り残されてしまった。

彼らは自分たちを「オッシー」、西からの人たちを「ヴェッシー」と呼ぶようになる。同時に、東ドイツ時代を偲んで、
「オスタルジ−」パーティというのも開かれるようになった。

ヘルムート・コール首相は恨みを買い、ハレ市内で卵を投げつけられた。

西側の方にも言い分はある。

会社を買収しようにも、40年間全く資本投下されずに荒れ放題になってしまった施設を買い取ることができるわけがない。

このようなひどい状態にしたのは東ドイツ政府であって、自分たちではない。

会社が必要としているのは、優秀で、やる気のある労働者であり、やる気がなくなったら仮病を使って仕事を休むような
連中ではない。

大体、技術的にもかなり遅れている労働者では使い物にならないのだが、自分たちは優秀だと勘違いして、
西側の連中と同じ扱いを要求してくる。

自分たちの仕事は変えたくない、それでも待遇は西と同じにして欲しい。一体何様だと思ってるんだ?

壁が開いてから、統一をあれだけ急がなかったら、どういう結果になったと思っているのか?

それこそ東ドイツは空っぽになって、完全に麻痺状態になり、失業手当が出たり、アウトバーンやその他の整備などは
全くなされず、失血死していたはずだ。

ロシアをはじめとする他の東欧諸国を見てみろ。

失業者が溢れるどころではない。ユーゴなんぞに至っては戦争だ。

それに加えて、統一そのものはいいとしても、そのために湯水のごとく、国の財源を費やして、あげくの果ては
付加価値税の値上げと、その後の統一税の導入だ。

恩に着せるわけではないが、ありがとうぐらい言ってくれてもいいじゃないか。いい加減にしてくれ。
という感情を持ち合わせていたのではないだろうか?

町には失業者が溢れ、次第に将来の展望を失い、心が荒んできた若者たちは、その鬱憤を外国人に向けるようになった。

以前から、西ドイツ政府は中近東、アフリカあたりからの亡命者を受け入れており、これに東ドイツ政府も関わっていた。

88年ごろ、西ドイツはなるべく亡命者を入れたくはなかったのだが、東ドイツ国営の航空会社インターフルークが、
イスタンブールあたりから大量の亡命希望者を東ベルリンのシューネフェルト空港まで運び、彼らをそのまま西ベルリンに
吐き出していた。

さらには、東ドイツ時代、世界中の社会主義国から留学生、研修生を受け入れていたが、統一後もそのままドイツに
残っており、彼らが槍玉に挙げられた。

「目障りだ。外国人は出て行ってくれ。俺たちの仕事を奪っている。俺たちが失業しているのに、なぜあいつらに
こんなことをしてやらねばならないのか?」。

とうとう92年8月24日、北ドイツの港町ロストックで、ベトナム人と亡命希望者が住んでいる寄宿舎が、
若者たちによって火炎瓶が投げ込まれた。

幸いにも、けが人は出なかったものの、警察もそれを制止せずに傍観するだけで、この様子が世界中に報道された。

さらには西ドイツの小さなメルンという町では、トルコ人の住宅が放火され、3人が焼死した。

これが折からのネオナチ運動、極右の共和党の出現と重なり、ドイツ人の凶暴さを植え付けることになると同時に、
ドイツ国内のあちこちで反ネオナチ、反人種差別のデモが行われた。

現在ドイツには約600万人の外国人がいるが、外国人なしではドイツの経済は成り立たないと言っても過言ではない。

道路工事、ゴミ回収、皿洗いなどのいわゆる3Kの仕事をしているのは、たいていが外国人であるという事実を忘れてはならない。

外国人に嫌がらせをする暇があるんだったら、彼らのやっている仕事を自分たちもやってみろ、と思うのは私だけだろうか?

一方では、東欧、ソ連、そして中国でも自由化が行われ始め、次第にドイツは旧東欧、ロシア、中国市場に目を向けるようになった。

95年ころから、ドイツは各国とのジョイントヴェンチャーを進め、特に繊維製品、電化製品の製作を賃金の安い国に求めだし、
旧東ドイツの頭上を越して行った。

その結果、たとえば、衣料品の縫い子をしていた人たちは完全に職を失い、それ以外の職に就くべく再教育を受けねばならなくなった。

その費用は職安が持ってくれるのだが、新しい資格を持っていても、それでも職が見つからない人たちもかなりいた。

失業率はなかなか下がらず、96年末の時点で、ドレスデンとポツダムでの失業率が最低で12%、それ以外の都市部を除いては
いずれも15%以上で、最高はザンガーハウゼン地区で20.9%にもなっている。

そのために、職を求めて単身、あるいは、家族ごと西に引っ越さざるを得ない人たちもおり、私の住んでいたゲルリッツという
町は、8万1千人の人口が6万1千人に減少した。

そうだとしても、旧西ドイツからかなりの資金が流れ込み、失業手当、失業者補助、生活保護、再教育などが受けられるのである。

いまさら東ドイツ時代が良かったと言ったところで、再び壁を作るわけにもいかないし、それは自分たちもいやなのである。

東西ドイツが統一してすでに13年経過したが、東西の経済格差はまだ完全には埋まっていない。

それでも他の東欧諸国に比べれば、旧東ドイツはかなり恵まれていると言える。

スロバキアの首都ブラチスラバ近郊の村に住み、町の青少年課に勤務する私の友人に95年ごろに再会したが、
自由化してからは生活が苦しくなり、半年間給料を貰っていない、と言い、ミノルタのコピー機を置いているが、
紙を買う金もないと話していた。

テレビのレポートでは、ルーマニアやブルガリアでは、駅で乞食をしたり、売春をしている子供たちがかなりいるし、
孤児院はドイツからの援助に頼っている状態である。

ハンガリーでは物価が高くて、誰でも本業の他にアルバイトをしなければ生活できない、という現地の人たちの話であるし、
ポーランドでは月給が2〜3万円ほどで、雲助タクシーは西からのお客からはぼったくるし、大学教授や医者までもが
季節労働者としてドイツにぶどうを摘んだり、アスパラを掘りに来るのである。

仕事がないのは、よっぽどアル中であるとか、能力がない、あるいはやる気がない限りは、確かにその人の責任ではない。

しかしながら、あまりにも高い社会保障を約束している国家では、ある程度の危機感を持って職探しをしようとしないのも
事実である。

イギリスではかなり前に、サッチャーが大なたを振るい、社会保障を削減したおかげで立ち直ったと聞いている。

2003年にはドイツ政府が、国家、および地方財政がかなり劣悪になっていることを訴え始め、失業者に対して、
今後職安が勧める仕事を拒否する場合には、失業手当を削減することを決定した。

財政が苦しくなっているのは決して東ドイツばかりのせいではないのだが、今まで飴を舐めさせてきたドイツ政府が、
とうとう国民に鞭を与えなければならなくなったのである。

果たして、ドイツ国民はその鞭に奮い立つであろうか?

*2003年記*








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