ドレスデンの話 その3

1974年に初めてドレスデンを訪れた際、最初の2日はM氏と奥さん、そして息子のトーマス君があちこち
案内してくれたのだが、3日目は自分ひとりで町に出かけることにし、路線バスに乗った。

バスは通勤客でそれほど混んでもいなかったが、座れるほどでもなかった。

そのうちに次第に客が入って来たので最後尾のところまで行かされるぐらいに込み合ってきた。

私の前に座っていた客が下車し、そこが空席になったために、座っていた男の人が私に、
「ビッテ(どうぞ)!」と言ってくれたので、「ダンケ!」と言いながら座る。
そのとたん、反対に座っていた二人の老齢のご婦人が、「OXOX アルテン マン」と怒鳴った。

一瞬何がなんだか分からず、当惑したのだが、「アルテン マン(お年寄り)」という単語だけが
理解できた。「ああそうか。要するに、お年寄りに座らせなさい、という意味なんだな。」
と理解、あわててそばのお年寄りに席を譲る。ドイツでは子供や若い人は電車などで混んできたときは立たされる、
と聞いていたが、そういうことを身をもって体験するとは思ってもみなかった。

駅のそばで下車し、そのままプラハ通りを歩きながらツヴィンガー宮殿へと向かう。

ツヴィンガー宮殿のお堀では貸しボートがあったのでそれを借りる。30分で2マルク程度だったと思うが、
一人でボートに乗ったとしても全然面白くない。早々に引き上げて、中庭に行くと大勢の観光客がいたが、
私の姿を見ると一瞬静かになり、こちらをじろじろ注目する。

そんなに日本人が珍しいのか?後日聞いた話では、1950-60年代は中国人がいたそうだが、
ソ連と中国が仲が悪くなってからはそれもいなくなり、70年代には、ごくわずかにカンボジアからの
留学生がいただけだそうだ。というわけで、アジア人はかなり珍しかったのだろう、高校生ぐらいの一団が
こちらをじっと見つめていた。私はこの一団に笑いかけながら近づき、その一人にカメラのシャッターを
押してくれるように頼み、こちらも一枚写真を撮ってあげる。

引率の先生らしき女性が、「どこからいらしたんですか?」と聞いてきた。「日本からです。」
皆びっくりした顔をする。よっぽど珍しいのだろう。北ドイツの小さな学校から修学旅行に来ていたらしく、
「何歳ですか?」などといった質問が飛んでくる。いま考えてみれば、もっと話してもよかったと思ったのだが、
そんなにドイツ語ができたわけではないので仕方がない。ほんの少し話しただけだった。

その後地図を見ながら、遊園地のある「グローサー・ガルテン」という大きな公園に行くべく、
町行く人に生き方を尋ねると、「ここの道をまっすぐです。」という答えが返ってきた。

「電車で何分ですか?」「あなたは若いんだから、歩きなさい!」「ハイ。」
20分ほど歩いて公園に着くと、メリーゴーランドとか、輪投げなどの遊戯具が並んでいたが、
日本とは比べ物にならないくらい古いものばかりで、唯一興味を覚えたのは、この公園を一週している
「ピオニーア・バーン」と呼ばれる、子供用の小さな鉄道だけだった。

あちこち一日中歩き回り、くたくたになって帰りのバスに乗ると、またしても女子高校生ぐらいの一団が中にいて、
こちらをじろじろ見ている。微笑みながら彼らに向かってウィンクをすると、ワ〜ッ!という歓声が上がる。
おかしくてしょうがない。
考えてみたら、じろじろ見られるのは不思議ではない。なんと言ってもこちらは「外人」だもんなー。