バイロイトの話 その3

バイロイトの話その1の続きになるが、昼前のリハーサルが終り、町に出て辺境伯小さな劇場の見学をした後に
どこかの公園に行き、ベンチに座ってのんびりとしていると、一人のおばあさんが前の池にいる水鳥たちに
残り物のパンをあげていた。
何となくこれもドイツらしいな、などと考えながら眺めていると、パンをあげ終わったそのおばあさんが
こちらに微笑みかけながら何かしらつぶやいて立ち去って行った。

さて、どこで同時間をつぶしたのかは全く記憶にないのだが、駅で1泊分の荷物を取り出し、ユースホステルに向かう。
ちょうど四時半前だったのだが、そこのオバサンが、2〜3人の人たちと話し合っている。
「もう満員なんですか?」
「満員です。」
「でも四時半に来て下さい、と応えたでしょう?!」
「お気の毒です。」
結局はないものはしょうがない、という訳で駅に戻る。

困った。バイロイト音楽祭が近づいているので、ホテルは取れそうもない。
それに加え、駅前には高そうなホテルしか目につかない。
仕方なく公衆電話からバイロイトに一番近いポッテンシュタインという所にあるユースホステルに電話をしたが、
混線して話が通じない。

日はだんだん暮れてくる。藁をもすがる思いで駅に隣接している小さなキヨスクの中に入って行くと
一人のちょっと体格のいいオバサンがいた。
「すみません。ここらへんに安い宿はありませんか?」、と訊ねる。

「今音楽祭の準備でどこも満員なのですよ」、という応えが帰って来る。
そこへ若いカップルが入って来た。
お店のオバサンがこのあわれな日本からの若者がいて宿を探している、と彼等に相談している。

何という天の助けだろうか!このカップルが私の為に宿を探してくれる、と言うのである。

早速彼等の黄色のフォルクスワーゲンに乗り、あちこちを探したのだが、なかなか見つからない。
カップルの男性の方が、ポッテンシュタインのユースホステルまで行かなくてはならないかな?
と話していたのだが、ラッキーな事に小さな居酒屋の二階に部屋が見つかった。

「朝食付きが良いか、どうか?」
「どちらでも良いですよ」。
そりゃそうだ。こちらはベッドがあればいいのだから。

やっと安心して、彼等の住所と名前を控えて、日本からお礼の手紙を出す、と言う約束をして別れる。
本当によかった、と思うと同時に、こういう事があるから貧乏旅行は止められない、なんてことを思う。

宿が見つからなかったらそんな事を考えるどころではなかったと思うのだが。

宿代は朝食がついてなんと12マルク(約900円)の安さ。

夕食は当然ここで取り、夜のリハーサルを見学するべく劇場の方に歩いて行くのだがさっぱり劇場が目に入ってこない。
朝には気がつかなかったのだが、から結構遠い所にあるらしい。というわけでそのままあきらめて宿に戻ることにする。

翌朝はユースホステルでは日本では見られない代用コーヒーと言うか、インスタントコーヒーのようなものが出て来るのだが、
朝食に本物のコーヒーが出てきたのでひどく感激する。

朝食も済ませ、ゆっくりと宿を後にして駅の方向に向かう。

途中に小さな映画館があって、ご存知、「女子大生丸秘レポート」、のポスターが貼ってあったのだが、日本では黒く
塗りつぶす場所が白い紙でカバーされていた。「日本では黒で、ドイツでは白」、などと考えながら歩いていると、
いつのまにか駅についてしまった。

早速昨日のキヨスクのオバサンに、「おかげさまで宿を見つける事ができました」、とお礼を言う。
「ああそうなの。よかったわね。で、これからどこへ行くの?」
「ホーフを経由して東ドイツに行くつもりです」
「それはそれは。でも東ドイツなんか大変よ。チョコレートとかバナナなんかないし…」。
「ええ、でも友達がいるんで…」。
「そう。じゃあ、これ持って行きなさいよ」、と言いながらバナナを一本房から千切ってくれた。
オバサンに住所と名前を訊ねたらお店のスタンプを押してくれた。

というわけで、この町では色々な人たちに非常に親切にしてもらった。

ちなみにこの若いカップルとは翌年に再会し、オバサンとは翌年、そして82年に再会したのだが、
その後訊ねて行った時にはキヨスクが改装中で、中で働いていた職人の話では、オバサンは亡くなられた、と聞かされた。