国境での話 その2

東西ドイツが統一されたのが1990年10月3日。

時間が経つにつれ、次第に東ドイツに住んでいた時代の記憶が薄れて来ている。

特にかつての国境はその面影を残すものはほとんどなくなってしまった。
そういう意味では、どういう感じであったかを書き残しておくのも悪くないだろう。
記憶を頼りにして書いているので真実とは少しずれているかもしれないのだが。

西ドイツから東ドイツ国内を通ってベルリン(西)に入る場合は、飛行機、鉄道、そして車で行く三つの方法があった。

飛行機の場合はベルリン協定に基づき、戦争連合国であるアメリカ、フランス、イギリス、そしてソ連の
飛行機しか着陸出来ないことになっていた。

従って、ベルリンにはブリティッシュエアウエイ、エアーフランス、そして今はなきパンナムが入っており、
東ベルリンにはアエロフロートとエアーフランスが入っていたが、この場合、エアーフランスはパリから西独上空を避け、
デンマーク上空を通過し、かなり遠回りをして東ベルリンに入っていた。
全くご苦労な事である。

電車で西独から東独を通過してベルリン行に乗って行く場合は、東独の国境検問所がある駅で西独の車掌が下り、
東独の車掌が乗り込んで来て、そのままベルリン手前の東独国境検問所のある駅まで同行した。
機関車の運転手が交代したかどうかまでは分からないのだが。

この場合、東独国内はノンストップで通過する。
その間に車掌が検札を行い、ユーレイルパスが東独では通用しない為、切符を買わされた。
もちろん西独の通貨である。

そして最後の車で行く場合、これが結構面倒だった。西独側にも一応検問所があったのだが、ドイツの乗用車は
フリーパスに近かったと記憶している。

「東側の国境で何か問題があった人を見かけた場合には協力してあげて下さい」と書かれたポスターが掲示されていた。

東側の検問所に入る手前でゆっくり走らされ、監視塔、ボタンひとつで車両が通れなくなる太いパイプで出来ている
遮断機のそばを通過して検問所に入って行く。

そこでは最初のパスポート検査があり、西ベルリン行きの列に並ぶ様に指示される。

この列はその他、東独国内入国、トランジット(通過)に分けられていた。

3列ほどの西ベルリン行きの列に並ぶとかなり渋滞している。
これが皆西ベルリン行きの車である。

しばらく行くと、窓口があり、パスポートを差し出す様に言われる。
そのまま20メートルほど行くとパスポートに通過ヴィザの紙が挟まれており、ヴィザ代として5マルクを徴集される。
パスポートはベルトコンベヤに乗せられてこの間を運ばれ、完全に流れ作業がなされていたわけである。

それだけベルリンを行き来する車が多い、と言うことだろう。

その後に税関があったが、ベルリン行きの車はほとんど調べなかったと記憶している。

それを終えてから100メートルほど行くとまた監視兵が立っており、やっと全ての手続きから解放され、
東ドイツ国内を走ることになる。

この検問所を出てすぐの所に「インターショップ(INTERSHOP)」という免税店があり、西側の通貨で色々なものが
安く買えるようになっていた。
特にタバコは半値ほどで、西側の人達が結構買い求めていた。

そしてガソリンスタンドでは外貨を稼ぐ為に、ガソリンが西独よりも安く売られていた。
ハイオクタンでもオクタン価95だったからあまり品質は良くなかった様だ。

アウトバーンと言っても道路状況は劣悪であった。
聞けば東ドイツ国内のアウトバーンは戦後ほとんど補修しておらず、辛うじて西独からベルリンに通じる部分は
西独政府が金を出して補修したそうな。

西独は無制限であるが、東独は100キロ制限。頻繁にねずみ取りが仕掛けられているらしく、私も一度捕まったことがある。

2車線の道路が1車線になり、そこに立っている警官に停車させられ、「スピード違反検査です。パスポートプリーズ!」
「何ですか?」ととぼけながら英語で応える。

「スピード違反です。112キロで走りましたね?」 「いや100キロですよ。」 「いいや112キロです。」
押し問答するのだが、罰金を払わないうちはパスポートを返さない、と言うのでやむを得ず罰金20マルクを払い解放
してもらう。

ベルリンまでの道は、別に道路の周りを囲っているわけでもなく、その気になればどこかの町に寄り道をする事も
可能なのだが、よっぽどの物好きな旅行者でもない限りそういう考えを起こす人もいない様だ。

ちょっとした違反でもどんな処置を受けるか分かったものではない、という恐れから、「一刻も早く
こんな重苦しい所から出たい。」というのが本音だろう。

やっとベルリンに近づくと、その手前ではまたしても検問所が待っている。今度は出国手続きである。
検問所の手前で立っている監視兵の傍を通り、税関、パスポート検査、を受けた後、ゆっくり監視兵の傍を走って
やっと東ドイツから解放される。

別に何がある、というものでもないのだが、ほっとする瞬間である。

東ドイツ国内を旅行した人が出国する場合は、持ち出してもいい物がかなり制限されており、税関で徹底的に
調べられる事がある。

私も知人訪問した後に一度やられたことがある。
ガソリンタンクの中に棒を入れてみたり、後部座席をはずしたり、スペアタイヤにレントゲンをかけたり、
車の床下を鏡を使って検査し、所持品、そしてポケットの中の物まで見せる様に言われたのだった。

その時に隠していたのが、プレゼントされた羽毛枕であった。
小さなクッションの中に入れておいたのだが、そのクッションのファスナーが東独製であり、それに気づいた
税関吏が徹底的に調べ上げ、入手先などの調書を取った後にその枕を没収したのである。もともとは私の
所持品だったものなのだが。

やっと解放されて西側の検問所を通る際に、パスポートの提示を求められ、「何か問題があったのですか?」と
質問されたのには驚いた。一体どこでどう監視していたのだろう?

旧東西ドイツ国境の検問所は全てなくなったのだが、一ヶ所だけ当時の建物を利用して大きなサービスエリアに
なっている所があり、お客様にはそこを通るたびに当時の説明をしながら休憩を取って頂くことにしている。







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