バーデン・バーデンの話 その3

この町に来たら避けられないのがカジノ。

ここではルーレットとブラックジャックが行なわれている。

フランス革命でフランスは賭博が禁止となり、この町に流れて来たアントワーヌ・シャベールというフランス人が
許可を受けて1824年、赤と黒(スタンダールか?)の賭博を開帳したのが初めらしい。

日本で言えば丁半賭博、ということだろう。

ところがシャベール氏は後発のジャック・ベネシェクという人物に凌駕されてしまい、現在のカジノには
彼とその息子の肖像画が飾られている。賭博をする人にとって、そんなことはどうでもいい。



バーデンバーデン、カジノ


私自身もここ以外に、ドイツではヴィースバーデン、バート・デュルクハイム、コンスタンツ、
そしてオーストリアのザルツブルク、モナコのカジノに行ったことがあるが、バーデン・バーデンの
カジノが最も優雅のような印象を受けている。

これは、ここのカジノで勝った、という理由もあるだろう。いや、ここ以外では勝ったためしがない、
と言った方が正解だろう。100マルクで1,100マルクを取ったことがある。

その時の話をちょっと。

ギャンブラーなる人物は勝った時の話しかしないものである。
「そんなに勝った、勝った、と言うんだったら、お前もっといい生活してるだろう!?」

もう5〜6年前のことである。中部地方の市会議員5名ほどで、いわゆる視察旅行の通訳兼ドライバーの仕事で
シュヴァルツヴァルト(黒い森)地方を案内した。

50才から70才を超えた方達のグループだったのだが、70才を超えた方は高齢ということもあって、
歩くのがかなりきつかったようである。それ以外、皆で言うに絶えない恥ずかしいことをしていたのだが、
まあこれはかなりの田舎の方だからしょうがないかな…。と思っていた。

この視察に着いて行くのがつらそうだった最高齢のお客様が、「カジノにどうしても行きたいので
連れて行って欲しい。」とまるで懇願するように言って来た。

「追加料金がかかりますがいいですか?」「かまわないから、頼むよ。」「オーケー!」

70キロほど走ってカジノに到着、さっきまで歩くのさえつらそうだったこのお客様が信じられないほど
元気になり、目がらんらんと輝いて来た。

外国に行ったら必ずカジノに行く人達にとっては、もはやルールなど説明する必要などないだろう。

さっそくお金をチップ(ジュトン)に交換し、賭け始めた。

最初は5万円ほど両替したのだが、見ているうちにどんどん取られて行く。

中は熱気と煙草の煙で蒸せるような感じだが、「当った〜!」とか、「取られた。チクショ〜」という声は全く聞こえない。
大金を当てた人は、「ニカッ」と微笑み、取られた人はしかめ面をしている。

そのうち、見ているのも飽きて来たので自分も賭けることにする。ただし元金は50マルクだけに抑える。

中では何台かのルーレットが回っており、それぞれ過去20回ほどの結果が掲示板に表示されている。

何となく目の出方に規則性があるような、ないような…。何となく予想のつきそうな台に陣取り、
5マルクのチップを何ヶ所かに置いて行く。

自分の経験から赤黒、奇数偶数等の倍率の低い賭け方は必ず負けるので、6倍9倍というやり方で賭けて
行くことにしている。

そのうちに32が立続けに出るようになって来たのに気がついた。
そこへチップを一個置き、その回りにも何個か置く。果たして、予想通り32が出た。
36倍のもうけである。ディーラーが掛け率の低い方から配当を配って行き、私のチップを指して、
「これ貴方のですね?貴方のですね?」としつこいほど確認する。

「あ、分かった。」要するに、勝ったんだからチップをくれ、と暗に要求しているのである。

このディーラー達の給料は固定給ではなく、お客様からのチップのみが給料となる為に、大口を当てた場合
にはチップをやることがあたり前となっている。

そういうわけで3枚ほどのチップをあげると、「ダンケ」と言う言葉と共に手前にある穴の中にそのチップが投入された。

これを見ると彼等の給料は一体いくらぐらいだろう、と勘ぐりたくなるほどチップがどんどん投入されている。

この32が立続けに3〜4回出たろうか。たくさんの人達がこの32に賭け始めた。
そして外れたとたん、「フ〜〜〜〜!」というため息がルーレット台の回りから一斉に漏れた。

この状態で私のチップは既に600マルクほどになっている。

このまま続けたら取られてしまう、ということが分かっているので、一旦現金に替えてもらうことにした。
〆て550マルクの儲けである。

こんなに勝ったためしは今までなかった。にんまりとする。

中で賭けている人達には色々な人達がいる。よぼよぼのお婆さんが1,000マルクのチップをポン、
と置いてみたり、5千マルクのチップを置いてそのまま席を離れたりしている人がいる。

中国系の人達の賭け方は結構派手なようだ。若くてその道のプロもいる様に感じるのだが、
ここにいる七割ほどの人達は我々のような観光客の冷やかしだそうだが、このカジノを案内してくれた人の
説明によれば、4週間で4億円を使って6億円を持って行ったアラビア人がいたそうな。

見ているうちにまた賭けたくなり、再度50マルクを両替、結局500マルクを勝ち取る。

今日は本当についている。勝った後で、「この10倍、100倍を賭けていたらもっと儲かったのに…。」
と思うのだが、これが博打にはまる原因だろう。

私のお客様は結局8万円を投資して11万円を取り、3万円を獲得した。二人とも勝って非常に満足する。

2週間後、別の町にあるカジノで同じ方法を使ったが全く取れなかった。どの博打を持って来ても、
結局勝つのは胴元になっている、ということらしい。
それでもこの1,100マルクを取った時のおかげで、現在でもプラスマイナスゼロとなっている。

ちなみに、このバーデン・バーデンには、ロシアの文豪、トルストイ、ツルゲーネフ、ドフトエススキーが
滞在したこともある。、ツルゲーネフはカジノに手を出さなかったらしいが、トルストイは日記に
「夕方6時までカジノにいて、全部すった。」と書いている。

ドストエフスキーに至っては、新婚旅行に来てカジノに入り浸り、すってんてんになったらしい。
その腹いせかどうかは分からないが、この体験を元に「賭博師達」という作品を書いたそうである。
それで元は取れたのだろうか?