プラハの話 その1

カレル橋にて


モルダウとボヘミアの森に憧れてチェコのプラハに入ったのは1980年の春だったと思う。

当然自由化もされていなかったし、国境の検問は東ドイツよりも厳しかった。

それでもやっとプラハに入り、観光案内所で安めのホテルを紹介してもらいチェックインする。

部屋に荷物を置き、外に出ようとすると、ホテルのフロントにいる女性がドイツ語で声をかけてきた。
「すみません。私の名前は〇村といいます。」と日本人の名前が聞こえて来た。
「私には日本人の夫がいまして、貴方のようなドイツ語か英語が出来る日本人を探していたのです。
実は西から私の夫宛ての手紙を出して欲しいのです。」

東には検閲があるので、英語やドイツ語の手紙は全てチェックされているらしい。
さすがに日本語や中国語は理解できないだろうからそうではないだろう。
そう言うわけで、私にその手紙を西側の国から出して欲しい、ということだった。

聞けば、二人はイスラエルで知り合って結婚したのだが、チェコ政府が
この奥さんを西側に出してくれない、とういことであった。
「そういうことなら、今度オーストリアに出るのでそこから出してあげるね。」
「助かります。明日の朝に手紙を持って来ますから…。」

翌朝言われたように手紙を渡され、別に高いものでもないので郵便代は受け取らずにおく。
その後無事オーストリアからその手紙を発送したが、あれからもう二十年以上になる。
89年に自由化が行なわれ、この二人は一緒になれただろうか?とふと考えることがある。

それでなくても国際結婚てのは難しいものだから…。