ワイマールの話 その2


私がまだ東ドイツで音楽をやっていた時の話である。

東ドイツには、ベルリンのハンス・アイスラー、ドレスデンのカール・マリア・フォン・ウエーバー、
ライプチッヒのフェーリックス・メンデルスゾーン・バートロディ、そしてワイマールのフランツ・リストの4つの音楽大学が
あったが、毎年フラン・リスト音楽大学では世界中の若い音楽家や音大生のために2週間ほど夏期講習が行なわれていた。

私もそれに参加しようと思ったのだが、一つだけ問題があった。

日本人をはじめとする、いわゆる資本主義国からの受講者たちは、受講料を西ドイツマルクで支払わねばならないことに
なっていたのである。

私が勤務していた劇場からは、給料が東ドイツマルクでしか支払われず、夏期講習講の事務局に、文書にて事情を訴え、
「東ドイツマルクで支払わせて欲しい」とお願いしたところ、ラッキーなことにオーケーの返事が得られた。

それと同時に、有り難いことに、その授業料を劇場が払ってくれたのである。自分としては、そこまでしてもらおうとは思って
いなかったのだが。数少ない社会主義の良いところである。

さて、その講習であるが、講師陣として、オーボエではライプチッヒの教授で、東ドイツのホリガーと呼ばれる、
ブルクハルト・グレッツナー教授、トランペットではドレスデンのルートヴィッヒ・ギュットラー教授、そしてホルンでは
ドレスデンのペーター・ダム教授など、蒼々たるメンバーが揃っていた。

受講生たちは、夏休みで帰省している学生たちの二ヵ所の学生寮に分けられたが、私はウィーン音楽大学に留学して
ホルンを学んでいる台湾の学生と同室になった。

オーボエの学生は、ライプチッヒの教授の弟子たちをはじめ、ポーランド、チェコ、ブルガリア、西ドイツ、そして西ドイツに留学している
二人の日本人など、14〜5人が揃っていた。

講習が始まって驚いた。いや、その受講生たちのうまいこと!
「学生たちがこんなにうまいとは!」


自分が一応プロの端くれとして給料をもらっているのが恥ずかしいぐらいである。
後で二人の日本人に聞いたところによれば、西側で行われる講習と比べて、受講生たちのレベルがかなり高い、という話であった。

興味深かったのは、その受講生の中にアジアの果ての某社会主義国からヴァイオリンが二人、フルートが一人、
三人の女の子が含まれていたことである。

はるばる遠い国から送られてきた受講生であるから、かなりのエリートなのだろうと思う。あるいは党幹部の子女たちか?

その彼女たちには大使館からであろうと思われる通訳兼運転手の、50歳ぐらいと思われる男性が同行していた。

ところがこの三人、講習が終わって寮の部屋に入ったとたん、翌日の講習に出かける朝まで、外には一歩も出て来ない。

受講生たちは、朝食と夕食は学生食堂で摂り、一日の講習が終われば西も東も関係なく、気が合った人たちとカフェに行ったり、
夜はビールを飲みながら騒いでいたのだが、この三人は他の人たちとの接触を一切厳禁されていたらしい。

三度の食事さえもどこかのホテルで、その男性と共に自分たちだけで摂っていた様である。

そして、この監視役及び通訳で同行していた男性だけ、一般の受講生たちと一緒にピンポンをしたりしていたが、彼女たちが東西を
問わず、他の受講生と交歓するような場面はとうとう見られなかった。

一度だけ、講習に出かける朝、部屋を出て大使館のベンツに向かって歩いている彼女たちに、「〇ンニョン〇シムニカ!」、と声をかけた。
思わず一人の女の子が目を丸くして、「ア〜ッ」、と驚いたような声を漏らした。





ペーター・ダム教授の指揮による野外演奏会