ワイマールの話 その1

ワイマールと聞いて、「ワイマール共和国」を思い出す人は、かなりのドイツ通であると
言えるかもしれない。

ドイツ皇帝であるウイルヘルム二世がオランダに亡命して第一次世界大戦が終わり、誰も皇帝の後継者はいなくなり、
1919年に共和国になるのだが、政治治不安が漂うベルリンを避け、ワイマールで建国されるので、
ワイマール共和国と呼ばれる。

ところが、この国は色々な政治的矛盾や不満を含んだまま不安定な状況で推移し、結局はヒトラーが
1933年1月に政権を取った後にあっという間に崩壊する。

それはそれとして、その150年ほど前、まだドイツが300ほどの国に分かれ、その頂点にハプスブルク家が
皇帝として君臨しているドイツ民族の神聖ローマ帝国の時代、この町はワイマール公国の首都として、
若きカール・アウグスト侯が、ドイツ文化の中心地にしようと野心を抱き、シラーやゲーテ、フラン・ツリストなどを
招聘し、特にゲーテはウグスト侯の顧問として、政治、建築、軍事、鉱山開発、劇場監督など、何でもやったらしい。

早い話が、中小企業の顧問であるから、何でもできなければならないのである。
その合間に小説を書いたのだから、やっぱり天才というしかない。
しかも186センチの大男で、国の名士であるからして、女性には非常にもてたらしい。

そういうわけで、なかなか結婚しなかったと聞いているが、結婚したのは57歳の時で、すでに17年前に
息子のアウグストを産んでいた家政婦のクリスチャンネとである。

話に寄ればこのゲーテ、興味を覚えた女性に対しては人妻、独身女性を問わず誰にでも
手を出したらしく、なんと74歳の時に19歳の女の子に求婚するなどと、とんでもないことを考えたらしい。
「老いてますます盛ん」、なんてもんじゃない。ゲーテだから許されるのかもしれない。

もし私がそんな事を考えたら、「んま〜〜、いい年こいて、このスケベ爺い!!!」、で終わりである。

その結果、産ませた私生児が300人以上いるそうな。そういうわけで、現在でもワイマールの
人たちは誰でも、「自分はゲーテの子孫だ!」、と思っているらしい。ホントかいな?

町の中央にはそのゲーテが監督をし、ワイマール共和国が建国された国民劇場があり、
その前にはシラーとゲーテが並んでいる銅像が建っている。

ゲーテはこの国の最高顧問で、がっしりとした大男で、シラーは反対に、イエナ大学の教授で華奢な体つきをしていたの
だが、ここの銅像は両方とも同じ大きさに作られている。

これは、身長、そして何よりも身分こそ違ってはいるが、「二人のドイツ文学に対する功績は全く同等のものである」、
という意味で、この様に作られたものであると聞いている。

私自身は読んでいるうちに、だんだん気が滅入ってくるので、ドイツ文学はあまり好きではない。




ワイマール国民劇場とゲーテ、シラーの像