ベルリンの話 その1

ベルリンの壁が1989年11月9日に開けられたのは誰でも聞いたことはあると思うが、
この11月9日という日はドイツでは運命的な日でして、第1次大戦後ワイマール共和国が宣言されたのが
1919年11月9日、ヒトラーがミュンヘンで暴動を起こしたのが1923年11月9日、そしてナチスが
ユダヤ人の商店を焼き討ちした、いわゆる「帝国水晶の夜」が1938年11月9日なのです。

ベルリンを訪れた方を私が必ずご案内し、そして皆様に是非とも立ち寄って頂きたいのが、
「ハウス・アム・チェックポイント・チャーリー(ベルリンの壁博物館)」、です。

かつてのチェックポイント・チャーリーのすぐ側にあり、1961年8月13日にあっという間に境界線が
有刺鉄線で遮断された時から1989年11月9日に開けられるまで、東西ベルリンに関する記録、
1953年6月17日の暴動、壁が最初にできた時の映画、そして東からどのような形で逃げてきたか、
という記録、その方法、そしてそれに使用された道具等が展示されている。



チェックポイントチャーリー跡


最初は有刺鉄線が張られただけだったので、その隙間を抜け出して逃げたり、国境に隣接している建物の窓から
飛び下りたりして逃げていたのだが、隣接の建物は封鎖、没収、取壊しになり、有刺鉄線は分厚いコンクリートの壁に
とって代られ、次第に困難になって行った。

それでもあきらめない人達は西ベルリンにいる身内と共謀して東ベルリンの建物から綱を張って滑車を使って逃げて来たり、
東ベルリンから西ベルリンにトンネルを掘ったり、西ベルリンの4人の学生に至っては、アメリカの放送局からの
資金援助を受けて家族を救い出そうと東側にトンネルを掘り、それが映画に記録され世界に公開された。

その他、バルト海を泳いでデンマークの漁船に拾ってもらったり、自分で小さなUボートを作ったり、ざっと40キロの距離を
ウインドサーフィンでスエーデンまで渡った、空からは1979年に2家族8人がその当時世界最大の熱気球を自作して
風に乗って逃げて来た人達がいる。

ここに展示されているものはそれだけではない。考えられるあらゆる方法で逃げようとしたのだった。

この博物館にいると、「人間の自由に対する憧れは果てしないものであり、それを勝ち取る為に命を賭けることさえも
いとわない人間がいるものだ。日本人はこのような運命をたどらずに済んだ、と同時に、自由ということは勝ち取る
ものではなくて、初めからある、当然のこととして受け入れているのかも知れない。」と思う。

私が初めてこの博物館を訪れたのは1981年のことだったと思うが、その頃東ドイツに住んでいた。
「自分は今東ドイツに住んでいて、一応西にも出て来れる。結局はこれを自由、というのか。」と思いながら
この博物館に時間を忘れて4時間立ちながら展示物を見ていた。

入口には「ソ連の市民は無料」と書かれていた。

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2011年の5月に訪れたが、中の展示物がかなり減っているのに気がついた。
どうしたんでしょうね?