アウシュヴィッツの話

ドイツに興味のある人間としては、このアウシュヴィッツという言葉は避けては通れない。
私もアウシュヴィッツを訪れたことが2回ある。

ナチスドイツがヨーロッパ、そしてソ連の600万人ものユダヤ人を殺戮したという事実に
対して、「捏造である」、あるいは「誇張に過ぎない」、という意見もあるらしい。
「アウシュヴィッツ強制収容所だけで600万人も殺害するのは不可能だ」、あるいは、
「あれはガス殺戮ではなくて、飢えや病気で死んだのだ。だから殺してはいないのだ」、
という理屈を述べる人もいるらしい。強制連行して収容所、あるいはゲットーに閉じ込め、
食べ物もろくに与えないで、飢え死に、あるいは病死させた人間が、「俺たちは殺してはいない。
病気や飢えで死んだのだ」、という理屈は通るはずもないと思うのだが。

ユダヤ人の強制収容所は、ここばかりではなく、ダッハウ、ザクセンハウゼン、マイダネク、
ブーへンヴァルト、トレブリンカなど、それこそヨーロッパ各地に収容所はあったし、
収容所に入れる以前に、銃殺、あるいはなどによって虐殺された人たちがかなりいた、
ということである。
ポーランドにいたっては、300万人のユダヤ人のうち6千人しか生き残れなかったと
聞いている。

アウシュヴィッツ強制収容所はかつてのポーランド軍の兵舎を利用した1万人収容の
(後の計画では3万人)シュタムラーガー(基幹収容所)、それに10万人収容できる
アウシュヴィッツ−ビルケナウ、それにIGファルベンの労働に就く囚人の外郭収容所を
建設したものである。
ここの強制収容所で死亡したユダヤ人、ポーランド人、ジプシー、ソ連軍捕虜、その他
の人たちの数は、少なく見積もってもざっと110万人!だそうな。

シュタムラーガーはレンガ造りの建物が並んでいるが、その11番棟では初めての
ガス殺戮実験が行なわれた。建物の中には当時の資料、犠牲者が履いていた膨大な量
の靴や義足、そしてケーブル絶縁などに使用されるために切られた髪の毛などが
展示されており、後方にはガス室が残っていて中に入ることもできる。
3キロほど離れたビルケナウの広大さには驚かされる。約2キロ四方もあるだろうか。
この中で時には10万人以上が飢えと、いつでもガス室に送られる、という死の
危険に脅かされながら生活していたとは想像できるわけもないし、アニタとレナーテ・
ラスカー姉妹が再会したのは全く奇跡と言う他はない。

「チェロを弾く少女アニタ」も「ホロコースト全証言」も、私がアウシュヴィッツを
訪れてから後に訳したものだが、読み返した上で、もう一度この地を訪れ、
現場検証のようなことをしなければならないと思っている。



「働けば自由になる」と記されたシュタムラーガーの門




ビルケナウ収容所正門




立ち並ぶバラック




ビルケナウガス室跡