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シュヴェチンゲンの話
1648年にドイツ中を焦土化した30年戦争も終わり、騎士階級は完全に没落していく一方で、大きな領地を持つ貴族たちは
フランスのルイ王朝を模範とした絶対王政に専念し始めるようになる。
そして何でもかんでも、というわけでもないだろうが、色々な生活様式をフランスから取り入れる。
特に、ベルサイユ宮殿に代表される夏の離宮をドイツの貴族たちもこぞって建設し始める。
その中でも大きいのは、ミュンヘンのニンフェンブルク城、ポツダムのサン・スーシーや新宮殿であるが、バロック時代の特徴である、
全ての建物が左右対称に作られ、その後方にはこれまた左右対称の大庭園が設けられている。
ハイデルベルク、正確にはプァルツ選帝侯であったカール・テオドール侯もご多分に漏れず、規模はかなり小さいのだが同じ様なお城を作った。
神童と呼ばれたかつての幼い頃のモーツァルトも、ここで演奏会を行なっている。
たくさんの貴族、貴婦人たちに囲まれて、「まあ、かわいいこと!、お上手ね!」、「すばらしい演奏だったよ、モーツァルト君」、てな
感じだったのだろうか。
ところで、このカール・テオドール侯はハイデルベルク最後の領主で、1777年に本家のあるバイエルンに戻って行ってしまうのだが、
ハイデルベルクに色々なものを残してくれている。
まず、ハイデルベルク城の世界一のワイン樽、ハイデルベルクの古い橋。
そしてヨーロッパ中の優秀な音楽家を集めて、その当時では最高の宮廷オーケストラを設立した。
クレッシエンド、デクレッシエンドを最初に取り入れたのもここだそうで、今となっては常識だが、幼き日のモーツァルトが、
「ここのオーケストラの弦楽器奏者はみんな弓を揃えて演奏している!」、と驚いたそうな。
それと同時に、ここから多くの有名な作曲家が生まれており、その中には、ヨハン・シュターミッツとその息子のカールシュターミッツ、
クリスチャン・カンナビッヒ、フランツ・ダンツィなどの作曲家がいる。
いわゆるマンハイム学派と呼ばれている人たちである。
毎年5月になると約1ヶ月間にわたりシュヴェチンゲン音楽祭が開催され、お城の中のロココ劇場でオペラ、大広間でコンサート、
そして周辺の町でも多くの演奏会が行なわれる。
私がこの町の名前を初めて聞いたのは、学生時代に、この音楽祭の録音をFMラジオ放送で聞いた時である。
その頃はハイデルベルクとこの町の関連は全く知らなかったのだが。
カール・テオドール侯が残したもので有名なものがもう一つある。
この町の名物であるアスパラである。
彼が初めてこの地方にアスパラを植えるように指示したそうで、この町のアスパラが世界で一番おいしいと言われている。
もっとも、「うちのアスパラは世界で二番目においしい」、とは誰も言うわけもない。
ちょうど音楽祭の時期はアスパラの時期でもあり、世界的な音楽家が集まり、この町の名物であるアスパラを食べて行くというわけである。
ひょっとしたらアスパラの時期に音楽祭を合わせて、アスパラと音楽祭で音楽家と観客を引き寄せているのかも知れない。
最近この町からバーデン地方のアスパラ街道というのが、南のブルッフザールという町まで名付けられた。
シュヴェチンゲン城
アスパラ街道の看板