モーゼル川の名城エルツ城




エルツ城の話


ドイツ民族の神聖ローマ帝国と呼ばれた中世の時代、現在のドイツよりもかなり広く、
オランダ、スイス、オーストリア、チェコ、スロバキア、ルクセンブルクなどが含まれており、
多くの諸侯によって分割され、その上に皇帝が君臨する、というゆるい集合体が形成されていた。

現在でもドイツには数多くのお城が残っているが、特に山の上にある城というのは、
騎士階級が活躍した時代、11〜14世紀ぐらいに築かれたのが多く、それ以降は火薬を使った
火砲を使用するようになり、上にあるというメリットがなくなったために、山から下りてきたそうである。
聞くところによれば、その神聖ローマ帝国には大小合わせて約2万6千のお城があったそうな。

その沢山のお城も、現在では廃墟として残っているのがほとんどで、オリジナルの状態、あるいは
それに近い状態で残されたお城は皆無、と言っても過言ではないだろう。

有名すぎるほど有名な、ノイシュヴァンシュタイン城をはじめとする、ホーエンツォレルン城、
ワルトブルク城などは、19世紀に始まったドイツロマン主義の時代に復元されたものである。

そのオリジナルで残されたお城のうちで、私がもっとも好きなのは、
モーゼル川支流のエルツ河畔にそびえる、エルツ城である。
ただ、このお城はモーゼル河畔に立っているわけでけではなく、ちょっと内陸に入らねばならず、
おまけに交通の便も悪いし、日本人の観光ルートから外れているので、月に2〜3の旅行会社のグループか、
デュッセルドルフに住む人たちが休日を利用して訪れる以外は、日本人観光客はほとんど
見かけることがない様である。というわけで、ここは穴場である。

このお城はエルツ川の谷にコップを伏せた様な高台に建設されたものだが、土地が狭い理由で、
次第に上方に建て増しされ、とうとう100部屋ほどの狭い部屋が7階建てで作られてしまった。
現在では一部が一般公開されており、ドイツ語と英語での案内がある。

この家系はマインツとか、トリアーの大僧正を勤めたこともある人物が出ている名門だが、
戦争の際には巧みな外交力を駆使し、ドイツが大荒廃した30年戦争にも、ライン河畔の城が
ほとんど破壊されたオルレアン戦争にも、破壊されなかったということである。
ある意味では、信州上田藩の真田家のような感じで、なるべく強い方に着いた結果かもしれないのだが。

この城には12世から続くエルツ家の三系列が住み、それぞれ別々の部屋で、独立した生活を営んでいたのだが、
三家で共同管理すると決められていた。

現在はその一つのケンペニック家の子孫がお城の所有者となっているが、
普段はライン河畔のエルトヴィレという小さな町に住んでいる。

伯爵はラインガウにワイン畑も持っており、私がそのワインを大量に輸入している日本のレストランオーナーの
通訳として訪問した際、伯爵が直々にお城の中を案内してくれたことがある。

お城に到着する直前、広大な農場を通過したが、「ここらへんの農地は全部私の所有です」、とか、
城の博物館の展示物を指差しながら、「私は子どもの頃、これで遊ぶのが大好きでした」、なんて小憎いことを
言っていた。さすが貴族というか、領主様というか・・・・。



エルツ城