ノルマンディの話

少年向けの漫画週刊誌である少年サンデーとか少年マガジンが発刊されたのは、小学校
5年生の頃だったと思う。記憶に間違いがなければ、ゼロ戦の性能とか、戦艦大和のデータ
などが載っていて、それを覚えてみたり、真似て絵を描いたりした世代であり、テレビでも、
ビッグ・モロー扮するサンダース軍曹が活躍する「コンバット」を見て育った世代である。
「リトルジョン!だいじょうぶか!?」なんて感じだった。

そういうわけで、ノルマンディと言えば、1944年6月6日に始まった連合軍の
上陸作戦しか思い浮かべない。60年代にはカーク・ダグラスなどが出た白黒の
「史上最大の作戦」があったし、最近ではスピルバーグ監督の「プライベート・ライアン」が
この上陸作戦を映画にした。どちらかと言えば、ノンフィクションにフィクションを乗せた様な
「プライベート・ライアン」よりは、ドキュメントとして、史実に基づいた「史上最大の作戦」
の方が好きである。

私自身は、戦争は人殺しをするだけだし、悲惨で、いいことは何もないので、どこでも起きては
欲しくないのだが、戦争映画を見るのは好きである。少なくとも本当の殺し合いはして
いないのだから。と言うわけで、一度は行ってみたいと思っていたノルマンディの上陸作戦が
行なわれた海岸に行ってみた。

「戦闘が始まってから24時間で全てが決定されることになる。この24時間はドイツに
とっても、連合軍にとっても最も長い一日となるであろう」と、陸軍の北部フランス部隊B
の司令官であるロンメル将軍は、周りの人間にコメントしていたそうであるが、この日
前後は天気が悪く、天気予報でも、しばらくはこの悪天候が続くだろうという事で、
奥さんの50歳の誕生日パーティを祝うために、ドイツ国内の自宅に戻っていた。

ところが、イギリス南部のポーツマスを中心として、8千機の飛行機、4千艘以上の
上陸用舟艇、300隻の軍艦、合計280万の兵士たちを待機させていたアイゼンハワー
将軍は、フランスレジスタンスに向かって、「秋の日の、ヴィオロンのため息の・・・」
という詩の一説で、「48時間以内に上陸が始まる」という暗号を発信していたが、
悪天候候のため、出動を24時間延期していた。それでも、「天気回復が予想される」、
という報告を受け、しばらく考えた後、「オーケー、レッツゴー!」の指令を発したのだった。
こうして1年ほど前から準備されていた「オーバーロード」と名付けられた作戦が実行に移された。

作戦はまず、深夜の1時30分、サン・ミエール・エグリースの町後方へ、1万3千人の
空挺団を降下させることから始まり、3時15分には海岸に向かって艦砲射撃が始められ、
すでにユタ・ビーチ付近の小さな島に上陸が行なわれたが、ユタ、オマハ、ゴールド、
ジューノ、スオード・ビーチと名付けられた海岸に対する上陸が本格的に行なわれ始めた
のは朝の6時半からである。映画でも見られるのだが、それまで何も見えなかった海岸線
に数千の艦艇が突然パレードでもする様にその姿を現し、一斉にこちらに向かって大砲が
轟いたと同時に、砲弾が自分のすぐ近くで次々に炸裂して、仲間たちが粉々になっていく
のを目の当たりしたドイツ軍の兵士たちの受けた恐怖は想像を絶するものだったろう。

大砲陣地があったポアン・ド・オックという場所に行ってみたが、コンクリートで固められた
砲台は破壊され、約5メートルごとに砲弾跡があった。この様な砲火にさらされたならば、
無傷でいる方が不思議である。さぞかし怖かったに違いない。

2004年には、この上陸作戦の60年を記念して、ドイツでもさまざまなドキュメント番組が
放映されたが、ある機関銃陣地にいたドイツ軍兵士は、「あいつらをやらなければ、こちらがやられる。
とにかく無我夢中で機関銃を撃ち続けたが、指を何本か失って野戦病院に運ばれ、そのおかげで
生き延びた」と証言している。

上陸作戦が始まった日、ヒトラーはオーバーザルツベルクにおり、いつもは昼過ぎまで寝て
いるのだが、その日は10時過ぎに起き、朝食が終わってから上陸のことを初めて聞かされた。
ロンメルはドイツ国内にいるし、連合軍を迎え撃つべき戦車師団はヒトラーの司令下に
置かれているので、彼の命令なしに動かすことは許されない。ロンメルだったら、
ヒトラーの命令が無くても、あるいはどのような命令があったとしても、全く無視して機敏
に富んだ行動を取っただろう。現地のドイツ軍は完全に反撃のチャンスを失った。
ヒトラーはかねてから、「上陸があったならば、イギリスに最も近いカレーに違いない」と考えており、
連合軍も、そのために真向かいのドーヴァーに、偵察機からは本物にしか見えない、ゴム製の
戦車や、張りぼての船舶を多数配置したり、わざわざアメリカのパットン将軍を、その地に
赴任させていたのである。ヒトラーはまんまと連合軍の攪乱作戦にはまり、ノルマンディの
上陸軍が主力部隊であると気が付いた時はすでに遅かったのである。それに加えて、
空軍にはほとんど飛行機がなく、空からの攻撃が全く不可能だったのが致命的な結果を
をもたらした。この迎撃戦が失敗に終わり、総司令官のレンシュテットは、後日ヒトラーに
連合軍に対する降伏を進言するが更迭され、ロンメルは戦闘機の銃撃で負傷した後、
44年7月20日のヒトラー暗殺計画に加担したというかどで、自殺を強いられた。

今後ナチスドイツは没落の一途をたどり、戦争終了までのわずか1年のうちに、それまで以上
の犠牲者を出すことになってしまったのである。

上陸地点、そのタイミングなどによって運不運があり、比較的上陸が簡単に行なわれた
場所もあるし、オマハ・ビーチのように熾烈な戦闘が行なわれて、多数の犠牲者を出した
ところもある様だが、どこに行っても、その当時の戦闘の傷跡を見ることができるし、
博物館、慰霊碑なども多いので、どこかに立ち寄ってみるといいと思う。





アメリカ軍戦没者墓地