ハムリアコヴォのクリスマス

それまでクリスマスに誰かを訪問するなんてことは考えたこともなかったのだが、どういう風の吹き回しか、
スロバキア郊外、ドナウ川の畔のハムリアコヴォと言う小さな田舎村に住む2人の友人、ちょっと体の丸いAと、
フォルクローレダンスをしていてすんなりとしたIの凸凹コンビを訪問しようと考えた。

2人の住む村は、そのほとんどがハンガリー系民族で、家族、村の中ではハンガリー語を話しながら生活しているが、
仕事に出るとスロバキア語を使っているという具合に、完全にバイリンガルがそろっている。

2人と知り合ったのは、1975年の夏、2回目のドイツ旅行の際、当時の東ベルリンのレストランで
相席になったのがきっかけである。

それ以来、こちらから日本からG-パンを送ってあげたり"クリスマスカードを書いたりしていたし、東ドイツ時代に
ゲルリッツにいる私を訪問したり、西ドイツに住むようになってからは、ウィーンで仕事が終わった時など、
時間があれば顔を出すようにしていた。

12月24日はクリスマスイブ、25,26日は第1、第2祝日、と言うことで、どこでもお店がお休みで、
博物館なども休館である。

まあ、そういうわけで、「3人で200キロほど離れているブダペストにでも行こうや!」、と連絡しておいたのだが、
村に到着して2人と話すと、Iの方は26日に出勤しなければならず、Aの方は、「クリスマスはどこにも行かない」、
という返事。

結局、どこにも行かずに村で3日間を過ごすことになった。

ちなみに、2人とも結婚せず、Aはこれまた結婚しなかった2人の姉と一緒、Iは3人姉妹の末っ子で父親が遺した家に
一人暮らしをしている。

24日:村にある小さな教会のクリスマスイブ礼拝の準備をするということで、その手伝いをした後で、
    墓地の蝋燭に火を灯す手伝いに出る。
村の人たちも同じ行動を取っており、聞けば、カトリック信者なそうな。
夜になり、プレゼントの交換が行われるが、私もフランスのワイン、シャンペン、チーズ、コーヒー、
チョコレート、醤油などのプレゼントを2人に渡す。

夕食は、Aの姉が料理した魚料理。私がA宅に滞在しているので一人暮らしのIも加わって皆で頂く。
その後、皆は教会の23時の礼拝に出かけ、小さな教会は一杯であろうから私は遠慮することにした。

25日:3姉妹がそろって8時に礼拝に出かけた後、Aの友人とその娘がA宅を訪問。そうこうしているうちに
    Iが姉と共にA宅を訪問し、この2人と一緒にIの姪の家族を訪問し、その後で、隣村に住む もう一人の姪家族を
訪問する。夕方にIを自宅に送って行くと、隣に住む兄家族に紹介され、ここでしこたま飲まされる。
    
こういう感じに、24日は家族で過ごし、25,26日は、友人、家族をお互いに訪問し合う、と言うのが、ハンガリー人の
クリスマスの過ごし方だそうな。そういうわけで、誰もどこにも出かけない、というわけである。
  何だか、日本の正月の年始回りのご挨拶みたいなモンですな。

26日は礼拝はないと言うことだが、やはり訪問客がいるみたいである。
私はちょっとブラチスラバの町に出てみるが、開店しているカフェもレストランもほとんどない。
と言うわけで、本当に、外ではなーんにもできないのがこちらのクリスマスなんですよね。

それにしても、年始回りみたいなことをするとは知らなかった。




13世紀に建てられた村の教会(洪水で少し傾いている)