ギーセンの話

フランクフルトから北に50キロほどの場所にギーセンという、人口8万ほどの町がある。
日本人には馴染みのない町ではあるが、日本の光学器械の会社があるそうな。

まだベルリンの壁がある時代、ここと、フリードランドという町に東ドイツ、ルーマニア、
ソ連などから移住して来たドイツ系住民が最初に入れられる収容所があった。
収容所というと、ナチス時代の強制収容所を思い浮かべるが、そういう場所ではない。
あくまでも事務的処理を簡便にするために、移住して来た人たちに、最初にここに
入ってもらい、その後に、本人が行きたいドイツ各地に送り出すための施設である。

4年半の音楽生活をした後、個人的事情で日本に帰り、8ヵ月後に西ドイツに移住した際、
私も最初にこの収容所に入り、西ドイツ定住のための手続きを行なった。

西ドイツ政府にとって東ドイツは外国ではなかったため、あるいは、その他の国においても、
ドイツ人、あるいはその家族である、と言うことであれば、西ドイツ政府が彼らの移住を
受け入れてくれたのである。

最初にいくらかのお小遣いと、3度の食事のための食券が配られ、来た人たちは、まず食堂で
東ドイツではほとんど見たことのないオレンジやバナナなどもデザートとして出されるのに驚く。

そして移住して来た人の登録が行なわれ、どこに行きたいかを聞かれる。彼らは原則として
どこに行っても良い。例えば、「叔父さんがアメリカに住んでいるので、アメリカに移住したい」、
と希望を出せば、アメリカ行きの航空券の手配をしてくれる。
そして、「西ドイツでのスパイ行為をしない」、という書類にサインをさせられる。

さらには、どういう仕事をしていたか、によって、それに対する失業手当支給の手続き
が行なわれるのである。こうして数日間で、一般の西ドイツ国民と同じ資格が与えられ、
それぞれの希望地にある寄宿舎に移動し、そこで<職やアパートを探し、西ドイツ国民としての
第一歩を踏み出すのである。

現在では、このギーセンの収容所は、ドイツ統一後は、アジア、アフリカ、中近東からの
亡命希望者のための収容所として使われているらしい。