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コルディッツ城の話
ドイツの個人旅行のお客様をライプチッヒでお迎えして、旧東ドイツから西ドイツに抜けて移動する、
という非常に珍しい旅行コースを手配したが、お迎えするまで2,3日時間があったので、コルディッツ
という町に立ち寄ることにした。
コルディッツという町のことはつい最近まで知らなかったし、ドイツ人にも馴染みのない町である。
スティーブ・マックイーンの映画「大脱走」でノイシュヴァンシュタイン城が出てくることはすでに述べたが、
この話はフィクションだと思っていたのだが、ポーランドにある捕虜収容所で実際に似たような話が
あったということである。
それとは別に、先日コルディッツ城の話がテレビで放映されていた。
それによると、ザクセン王の狩の城として作られ、後には精神病棟として使用され、かのローベルト・シューマンの
息子も医師として過ごしたコルディッツ城に、ドイツ軍が脱走不可能と思われる収容所を築き上げて、それまでに
ドイツ国内の捕虜収容所から脱走を試みたイギリス、フランス、オランダ、そしてポーランドの捕虜たちを
ここに収容した。
その中にはイギリス皇室の一人や、チャーチルの甥もいたそうな。
ところが、逆に言えば、脱走のプロたちが一同に集められた、と言うことを意味するわけで、捕虜たちは
考えられる手段を講じて脱走を試みた。
「大脱走」と同様、トンネルを掘ることはもちろん、点呼の際に、人形を使って人数をごまかしたり、
手製のミシンを使用してドイツ軍の軍服を作ってドイツ兵士に成りすまして脱走したり、ついには
グライダーを作って脱走を計画したたこともある。
そしてホームランと呼ばれる脱走に成功して連合国側、あるいはスイスに抜けた兵士たちは31名に登る。
この話はイギリスではかなり有名だそうだが、ドイツではほとんど知られていないらしい。
ホロコーストの話は誰でも知ってはいるが、ドイツ人にとってはマイナスな話はわざわざ広げる必要もない、
と思うのは当然と言えるかもしれない。
まあ、それはそれとして、案内のガイドは脱走に関する面白い話を色々してくれるのだが、戦後は
耳鼻咽喉科病棟として、現在は大きなユースホステルとして使用されており、捕虜収容所時代の
面影を残す部屋はあまり残っていない。それでも、当時の捕虜たちが使用した道具、使用禁止されていたラジオ、
手製のミシン、焼酎を作った手製の蒸留器などが展示されている。
コルディッツ城
コルディッツ城内部
脱走のために堀ったトンネル
焼酎蒸留器
秘密裏に手に入れたラジオ
手製のグライダー(模型)
ドイツの日本人ガイド、リムジンサービス・ハイヤー藤島
Junichi FUJISHIMA
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