日本からのお客様にベルリンをご案内する際、かつてのアメリカ管理地区とロシア管理地区を結ぶ検問所であった
チェックポイント・チャーリーは、必ず訪れる場所ですが、残念ながら今となってはその跡しかお見せできません。
それでも、小生の専用車で個人旅行のお客様をご案内する際には、旧東ドイツに滞在し、幾度となく
この検問所を通過した自分としては、なるべく詳しく、その当時の模様をお話しするようにしています。
第二次世界大戦後にベルリンが米英仏露の四ヶ国に共同管理され、
アメリカ軍の管理下にあった地区の、ロシア管理地区に通じる
検問所だった場所がチェックポイントチャーリーである。
ベルリンの壁がまだあった頃の1980年に、西ベルリン側から撮った
検問所と、統一後の検問所の様子を較べてみて下さい。
検問所内はもちろん、東側から検問所を撮影するのは厳禁されており、
東ドイツの国境警察に見つかったらカメラを取り上げられてフィルムを
その場で感光させられた。
西ベルリンから見た検問所(壁があった頃)
統一後の検問所跡