ワイマールの北西、直線距離にして5キロほどの高台に、かつてのブーヘンヴァルト強制収容所がある。
この収容所は1937年に開設され、1945年4月11日に収容されていた2万1千人がアメリカ軍によって
解放されたが、それまで延べ約25万人が収容され、5万6千人が犠牲となったと推定されている(ガス室はない)。
解放したアメリカ軍のパットン将軍は、この惨劇をドイツ人市民に見せるために4月16日、
一千人のワイマール市民を集めて、この収容所に導いた。
ピクニックにでも行くような気分で収容所に来た市民たちがナチスドイツの蛮行を目の当たりにし、驚きのあまり、
言葉もなく呆然とし、逃げるようにその場を逃れる市民を移したフィルムがある。
ユダヤ人虐殺について、「私は知らなかった」、というドイツ人は多いが、本当に知らなかったらしい。
「戦争中で、自分が生き延びることだけで精一杯」ということもあるだろうし、「もしもそれを知ってしまったら
自分の身が危険だ」、あるいは、「自分が強制収容所行きになる」といった、本能のようなものが働いていたのかもしれない。
東ドイツ時代、修学旅行で生徒たちは必ずここを訪問することになっていた。
ここでユダヤ人が殺戮された、という理由ではなく、多くの社会主義者、共産主義者がこの地で拷問を受け、犠牲となった、
ということを教えるためだったらしい。
ドイツ個人旅行のお客様で、この強制収容所跡に興味がある方には、時間が許す限り訪れることにしている。
収容所正門
入り口に書かれた「皆それぞれに分をわきまえて」
拷問器具
人体解剖用器具
解剖台
死体置き場
死体焼却炉
