クヴェドリンブルクの話
まだ東ドイツで音楽をやっていた時の話である。
毎年7月になると1ヶ月劇場が休暇のために閉じてしまう。
その間、ブルガリアとかルーマニアから来ているメンバーは故郷に帰り、
ドイツ人たちもそれぞれ家族と共に、思い思いの休暇に出かける。
とは言いながらも、東欧のごく限られた外国に過ぎないのだが。
1982年の休暇前、ヴァイオリンを弾いているウーリケという女の子が、
「ねえ、ジュン(私のこと)。今度の休暇中、1週間ぐらいクェドリンブルクで
私の仲間が集まって音楽をするの。一緒にやらない?」
「お、いいね。喜んでご一緒させてもらうよ」
まるで学生時代のサークルの合宿である。
音楽家の端くれとして活動していたわけだが、いつでも好きな作品を演奏していた
わけではない。こういう時こそ、好きな音楽を好きな仲間たちとできるのだ。
こうしてクェドリンブルクのセルバドス教会のオルガニストである
ゴットフリートのもとに集まったのは、ウーリケと私の他に、劇場の同僚
フルーティストのエッカールト、彼の奥さんでヴァイオリンの先生をしている
ルビナ、エッカートの妹でチェロを弾く女子大生のイゾルデ、ドレスデン音楽大学で
フルート専攻のアンゲラ、そしてライプチッヒ音楽大学でファゴットを専攻している
クリスチーナの合計8人である。
ゴットフリートが住んでいる大きな一軒家では、午前中は何人かずつに分かれて
室内楽の練習、12時からは30分ほど、その曲をゴットフリートがオルガンを
弾いているセルバティウス教会で演奏する、ということが続けられた。
午後からは町の周辺、ターレ、ヴェルニゲローデ、鍾乳洞などを私のボロ車と
エッカートの車に分乗してドライブをしたりして過ごし、夕食後、誰ともなく楽器の
ケースが開けられて再び合奏が始められる。いいなあ、この雰囲気。
翌年の1983年、再び楽器を持ってゴットフリートのもとに同じメンバーが集まり、
これにビオラ弾きのベルントが加わった。
その年に精力的に練習が行なわれ、昼のミニコンサートで演奏されたのが、バッハの
「音楽の捧げ物」である。
この他、ゴットフリートが指導している合唱団の演奏会や、地下礼拝堂では、
中世の楽器による演奏会が開かれ、去年と比べると規模が大きくなってきている。
そのうちにゴットフリートが、「音楽の捧げ物の演奏会をやるぞ!」、と言い出した。
すでに日取りを書いたポスターまで用意している。
いまさら、「嫌だ」、という訳にもいかない。
というわけで、急遽、「ゲルリッツ合奏団」、と名付けられた我々によるコンサートが
開かれたのだった。
観客は町の人たちと、休暇でこの町を訪れた観光客である。その中には、ゲルリッツの
オルガン奏者も偶然居合わせていた。
演奏する場所は視的効果も狙い、教会の礼拝堂、礼拝堂に出る階段、オルガンの脇など
である。
こうして、演奏する方も、聞いている方も和気藹々とした演奏会は大成功に終わり、
合唱団のメンバーも加えて、ささやかな打ち上げパーティをする。
私の持って来た醤油と生姜で、豚肉の生姜焼きを作って振舞うと、どちらかと言えば、
こちらの方が音楽よりも好評であった。
こうして、楽しい音楽をさせてもらったクェドリンブルクの夏は終了した。
後にゴットフリートはファゴットのクリスチーナと結婚し、ウーリケはゲルリッツから
ポツダムの劇場に移り、フルートのアンゲラはアルテンブルクの劇場に就職したりと、
それぞれが違った道を進むことになり、残念ながらクェドリンブルクに集合することは
なくなった。
2006年の10月、ユネスコの世界文化遺産に指定されたこの町を、個人旅行の仕事で立ち寄る
機会があり、インターネットで調べてみると、ゴットフリートのオーガニゼーションによる
夏の音楽週間はまだ続いており、今では有名な音楽家が集まって来ているらしい。
すでに今年で25年を迎えた、と書かれていたが、私たちが参加した小さな演奏会が、
この様な大きな規模に発展して継続されているのは本当にうれしいことである。
音楽の捧げ物のメンバー。左端がゴットフリート
練習風景